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シリーズ-東北大学を訪ねて[第1回] きらめくサイエンスイラストレーションの世界 

2012. 10. 21
文:菅野康太

 

陰影が際立つこの頭蓋のイラストを見て欲しい。この均整の取れたイラストは、解剖学の教科書に載せる頭蓋の図としても使用可能なほど、正確に骨のパーツの位置関係を再現している。これが、サイエンスイラストレーションの画法だ。
サイエンスイラストレーションは、サイエンスの内容・概念を、イラストを用いて効果的に表現する手法で、特に北米では専門の大学院が存在するほどの確立した分野となっている。具体的には、以下の5大学院でコースが開かれており、それら5大学院が中心となっているThe Association of Medical Illustrators (AMI) という組織が存在する。

・The Association of Medical Illustrators (AMI)
http://www.ami.org/

・AMI参加5大学院
Georgia Health Sciences University
University of Illinois
Johns Hopkins University School of Medicine
University of Texas Southwestern Medical Center at Dallas
University of Toronto
詳細: http://www.ami.org/medical-illustration/graduate-programs.html

 

サイエンスイラストレーションという言葉をはじめて耳にする人も多いかもしれないが、そもそも日本ではサイエンスイラストレーターの数も少ない。この概念と技法に関するサマースクールが一昨年(2010)から東北大学医学部で行われている。実は、2010、2011年、そして今年と、その様子を覗いて来たので、4回に渡りご紹介したい。
内容のほとんどは昨年2011年に取材したものだが、私の筆が遅いせいで、記事にするのに1年かけてしまったので、2012年も少し見学させて頂き、3年に渡る活動の様子を、断片的ではあるが記録として残したいと思う。またこの4回の中で、このサマースクールを通して見えてくる、主催者・企画者の想いを、インタビューの形でお伝えさせて頂きたい。

2010年はAMI参加大学であるトロント大学からDavid Mazierskiさん(同大学Department of Biomedical Communicationsの准教授)が講師として招かれ、同じくサイエンスイラストレーターもしくはメディカルイラストレーターで、日本におけるその草分け的な存在であり、現在はニューヨークに拠点を置く奈良島知行さん(Tane+1.LLC)が講師およびコーディネーターとして参加された。

2010年サイエンスイラストレーションサマースクール
http://www.med.tohoku.ac.jp/nsgcoe/ja/topicsDetails/sci_illust_2010/index.html

Tane+1
http://www.taneplus1.com/

昨年、2011年は8月18日から8月20日まで、前年とほぼ同内容のコースが行われ、更に、通常コースの前日8月19日には、一昨年の受講生を対象に、アドバンスコースも開かれた。[詳細: http://www.tohoku.ac.jp/japanese/2011/07/event20110713-02.html ]

2011年の講師は、昨年同様、奈良島さんと、ジョンズホプキンス大学からDavid Rini さん(同大学Art as Applied to Medicine准教授)。まずは、そのアドバンスコースの様子からお届けしよう。

 

8月17日、サマースクール会場がある研究棟の2階に駆け上がると、会場の壁に一昨年の受講生の作品が展示されていた。

2010年は、頭蓋を横から見たところを描いた。受講生は美術系の人から理学系・医学系の大学生・大学院生、研究者、大学職員まで様々。皆が元々、絵が得意というわけでもなかった。しかし、最終的にはどれもかなりの出来になっている。3日間でどのようなレクチャーが行われるのか。2011年も通常コースでは頭蓋を描いたが、アドバンスコースでは2010年と質感が違う題材ということで、脳が題材とされた。アドバンスコースの様子からサイエンスイラストレーションの特徴的な画法の一つを紹介したい。

 

 

脳の模型に正方形のグリッドが充てがわれている。このように、均一なマス目を、描く対象に与えることで、解剖学的に重要な長さの比を忠実に再現できるようにしている。これは、初心者だけが行うものではなく、熟練したサイエンスイラストレーターでも行う手法だ。上手い絵を描くことだけではなく、実物を再現することが重要だからだ。この手法はオブザベーショナル・ドローイングと呼ばれ、このようにマス目ごとに各パーツの比を観察して描いていくと、絵が苦手な人でも、驚くほど正確に模写ができるようになるらしい。

昨年の受講生との再会を楽しみつつ「(観察する)試料が違っても、つじつまが合うようにしないといけませんよ」と、講師の奈良島さん。

ここでいう「つじつま」とは、スケール、つまり実物とイラストの長さの割合のことだ。先ほどサイエンスイラストレーションでは「実物を再現することが重要」と述べたが、それなら写真を撮る方が楽で正確に思える。しかし、写真には全てのものが映り込むため情報量が多くなり、必ずしも見る人、特にビギナーの理解を助けるものになるわけではない。例えば、医学部生が脳外科の研修を受けることを想像してみよう。脳の手術をするためには複雑な脳の構造を理解しなければいけないが、指導する医師が言葉で指し示す脳の部位がどこなのか、見て分からなければならない。しかし、多くの溝で隠れている部位も多く、血管もあり、もしくは、そもそも骨で覆われている脳の構造を、いきなりナマで見て理解するのは、情報量が多過ぎて初心者には極めて困難なのだ。また、実際の手術のときには、全体像を把握し、必要最小限の切り口から手術をする必要もある。全てが見えていなくても、見えているかのごとく把握しなくてはならない。
そのため、サイエンスイラストレーションでは、その時々に重要となる”コト”にフォーカスを当て、時に現実には見ることができない状態をも描くことで、見る者の理解を助ける。例えば頭の骨とその奥にある脳を同時に見ることは、写真では不可能だが、絵であれば、骨を透かしてその裏に脳を描くことが可能だ。
スケールのバランスさえ、頭蓋の比と合わせてあれば、受講生が昨年描いた頭蓋の絵に、今年描いた脳の絵を合成して、骨の構造と脳が同時に描かれたサイエンスイラストが可能になるため「つじつまを合わせよう」というわけだ。

 

[東北大脳科学GCOE事務局のデザイナーで本スクールの運営とともにアドバンスコースを受講もされている栗木さん。PCの画面を見ながら脳のオブザベーショナル・ドローイング中。本シリーズのtop画像も栗木さんの作品]

 

ここで、話は多少前後するが、翌日行われたDavid Rini さんの講演内容を元に、サイエンスイラストレーションについて、もう少し、ご紹介したい。
そもそもサイエンスイラストレーションは、教育や公衆衛生、研究内容の発表、病院での患者への説明などの場面で、内容の伝達を目的として行われる。科学の美しさを伝えるということが、第一の目的ではない。対話が必要な場面でのコミュニケーションを可能とするためのものなのだ。北米においては博物館や病院、出版社、医療訴訟に強い弁護士事務所などがサイエンスイラストレーターを雇っているという。

現場のイラストレーターはただアート的表現を目指すのではなく、学者とチームを組み、目的に応じた ”Best Solution” を模索する。科学的な知見に忠実でありながらも、どのように描くことがもっとも効果的か、その表現の仕方はイラストレーターによっても様々で、個性が現れるが、オブザベーショナル・ドローイングに代表されるように、共通の作法で科学的な内容を担保する。David Rini さんによれば ”Best Solution” となるサイエンスイラストレーションはそれだけで美しさを兼ね備えているという。
サイエンスイラストレーターは、医者や科学者とのコミュニケーションが重要となるため、基本的科学知識、もしくは最先端のホットトピックについてもある程度理解しておく必要がある。ジョンズホプキンス大の大学院プログラム受講生の出身学部を見ると、アート系の人が55%、科学系の人が45%で、医学部生と一緒に基本的な授業を受けている。David Rini さん自身も元々は医学の出身だそうだ。
ジョンズホプキンスでは、サイエンスイラストレーションの学生が居る建物と医学部の建物が非常に近く、描く対象についての科学的知見を知りたいとき、気軽に専門家の部屋を訪ねて質問をする風土が根付いているそうだ。イラストレーションを介して、医者や科学者が他の分野と交流する「窓」が開かれているという状況は、筆者も強く共感し、またうらやましくも感じる。
『ストライヤー生化学』という生物学分野の有名な教科書を書いたLubert Stryerは、その内容に留まらず解説のイラストについても相当こだわり、イラストレーターと頻繁にやりとりを行った。科学者である彼は、サイエンスイラストレーションの世界では優れたアートディレクターと評されている。このことからも、良質な教科書や一般書、テレビ番組を作るためにも、科学者とイラストレーター、もしくは映像クリエイター等の人々との、日常的交流の重要性を私も強く感じている。

ところで、東北大学はなぜこのようなスクールを開催しているのだろうか? 実は、東北大、特に、本スクールの主催でもある東北大学脳科学GCOE(GCOEは2011年度で終了)は、ここ数年、このスクール以外にも一般向けの興味深いイベントを頻繁に行っている。本サマースクールの期間中、それらイベントの仕掛人とも言える、長神風二さんに同行して、いろいろうかがってきた。次回は、2011年サマースクールの途中経過を覗きつつ、長神さんにうかがった企画意図の話などをお届けしたい。

 

他の回の記事はこちら
第2回 第3回 第4回

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