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CGMとキャラクタア

あなたは初音ミクを知っていますか?

2013.1.20
SYNAPSE Lab.おかべしょうた

クリプトン・フューチャー・メディアから発売されている音声合成デスクトップミュージックソフトウェアの製品名、およびキャラクターであるそれはユーザーが自由に楽曲を作り、初音ミクに謳わせることが出来ます。(詳しくはこちらをご参照ください。)

2007年に発売された後、ニコニコ動画などに初音ミクで作られた楽曲が次々に投稿されたことで、人気に火がつき、この種のソフトウェアとしては異例の販売数を誇るヒット商品になりました。また、PVやイラストなど楽曲以外の二次創作も次々に生み出され人気は拡大、ついにはTOYOTAやGoogleなどのcmにも使用されるなど、その広がりはネットを飛び越えていきました。

そんな初音ミクの存在をきちんと認識したのは昨年の中ごろのこと。ただの音声作成ソフトがなぜここまで多くのヒトの心を捉えたのか、当初は不思議で仕方ありませんでした。そして、自分なりの答えを探るべく、妄想を拡げることにしました(恐らくこういった妄想って15,6年くらい前からいろいろな方が抱いていたんだと思います)。

結論が出ていない乱雑極まりない妄想ですが、その途上を記してみます。

 

『“硬い情報”と“やわらかい情報”』

ネットの普及と共に劇的なスピードで広がりを見せたConsumer Generated Media(CGM)と呼ばれるネット世界。twitter, facebook, YouTube, pixiv、ありとあらゆるCGMで毎日膨大な量の情報(User Generated Content; UGC)が発信されています。けれど、初音ミクに関してはこれらとは一線を画する面白さがあると思いました。

従来のCGMと言えばSNSや価格.comみたいなものが主流だと思いますが、多くの場合そこで発せられる情報はすぐさまちりぢりに散在していくよ うに見受けられます。なぜなら、そこにある情報は基本的に一次利用されることのみを意図して発せられているからです。「今日行ったランチ、おいしかった」 とか「娘が幼稚園を卒園した」とか、そういった情報は主観的・客観的事実を伝えているに過ぎず、二次利用されることはほとんどありません。このような変質 すること/されることのない情報をぼくは”硬い情報”と呼ぶことにしました。硬い情報はログとしては保存されても、時間の経過と共に情報の渦に飲み込ま れ、ネットの海をあてもなく漂うだけになります。

こういった“硬い情報”の対にあるのが、“やわらかい情報”です。

“硬い情報”が一次情報のみを伝えるのに対し、“やわらかい情報”は受け手の価値観などによって大きく変質しうる情報を伝えます。写真・絵画・詩な どの創作物がこれに該当するのではないでしょうか(ちがったらごめんなさい)。そして、このような“やわらかい情報”は時として二次創作(パロディ化)を 促すことがあります。たとえば、アニメのキャラクタという、極めてやわらかい情報は同人活動という二次創作を支える原動力となっています。そういった意味 では、ネットがこれほど生活に溶け込む以前から存在していたコミケは、やわらかい情報をネタにして個人が情報発信するCGMと言えるのではないでしょう か。けれど、その一方でやわらかい情報に基づくCGMはいわゆるweb2.0的なCGMとは決定的に異なる性質を内包しているように思えます。それは、情 報の源に常にネタとして祀り上げられているキャラクタが存在している、と言う点です。そして、それは初音ミクというCGMにも同じことが言えます。

先にも述べたとおり、従来のCGMの多くは一次利用される硬い情報により成立しているため、情報の消費・散在スピードが速く、それぞれの情報が消費 者の手によって更新されることはほとんどありませんでした。けれど、たとえば初音ミクの場合、どんな情報が発信されようと、その根幹には常に初音ミクや初 音ミク的なキャラクタが存在しています。初音ミクというUGCによって初音ミクというCGMが常に更新・拡張されているというイメージでしょうか。これは 硬い情報では決して起き得ない、やわらかい情報だからこそ成立し得る現象なのではないでしょうか。

 

『なぜキャラクタなのか?』

やわらかい情報によって展開されるCGM。ではなぜ、キャラクタというやわらかい情報によってCGMは拡張するのでしょうか?

ある生産者が初音ミクの楽曲を発表します。すると、それにインスパイアされた元消費者によってPVが発表されました。さらにそれにインスパイアされた元消費者によって3Dモデルのデータが発表され….

このように一番初めの初音ミクというオリジナルキャラクタに対し、二次生産者が新たな情報を追加していくパロディの連鎖により初音ミクというCGM は大きな広がりを見せました。当たり前のことですが、ここで重要なのは追加される情報は初音ミクというキャラクタに帰属されるという点です。たとえば、初 音ミクのネギもパロディ化の過程で追加された新しい情報であり、きちんとオリジナルキャラに情報が帰属しています。このような連鎖はやわらかい情報が解釈 や編集の自由度が高く情報を追加しやすいことに起因して起きると思われますが、これはつまり、オリジナルのやわらかい情報にそもそも内包されている情報量(注①)が少なく、簡単に情報追加(キャラ付け)ができることを意味しているのではないでしょうか?実際、オリジナルの初音ミクには「作成した音楽を歌え るという特性」と「青い髪のポニーテールというイラスト」程度しか情報を持っていないわけで、キャラクタ性がほとんどありません。だからこそ、消費者・生 産者はオリジナルキャラクタに新たなレイヤーを自由に追加できるわけです。これに関して、twitter上でpsypubさんという方からこんなメンショ ンを頂きました。

「庵野監督は、二次創作には、空っぽのキャラのほうが適してる(喜ばれる)みたいなことを言ってて、具体的にはセーラームーンを挙げてた。」

調べてみると庵野秀明さんへの東浩紀さんのインタビュー記事が1996年10月号のSTUDIO VOICEに掲載されており、上記のような発言が ありました。消費者は空っぽのキャラクタ・世界観さえあれば、後は自分で創作を続けるという趣旨の発言です。これは本当に確信を突いたコメントだと思います。では、なぜ、ヒトは情報量が少ない空っぽのキャラクタを好むのでしょうか。ヒトの認知機能や社会認知の研究領域でこの疑問に示唆を与える知見は得られているのでしょうか。恐らく得られていないでしょう。けれど、ヒトがキャラクタ・他種他個体を嗜好し、かわいらしいとか、接してみたいとか、そういった感 情を抱くメカニズムについての研究は為されています。古くはコンラートローレンツまで遡ることができるでしょう。

 

『なぜキャラクタに意識を感じるのか?』

と、ここまで長々と妄想の前段階を書いてきました。ここから、いよいよ散り散りになっている研究報告を照らせ合わせながら妄想を膨らませよう、とい うところなのですが、残念ながらこれらの研究を統合的に解釈し示唆を得るにはまだまだ勉強がたりません。肝心なところが詰め切れず、我ながら歯痒い思いを しております。いくつかメモのために大切な研究報告をリンクします。

Monkey visual behavior falls into the uncanny valley (http://www.pnas.org/content/106/43/18362.short)

The development of the uncanny valley in infants (http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/dev.20583/abstract;jsessionid=3FD90127AA9C17069F19BBFAC8389B0F.d02t03?deniedAccessCustomisedMessage=&userIsAuthenticated=false)

「アードディレクターの仕事とヒトの認知のこと」(http://so-mind.com/?p=128)

The Mysterious Noh Mask: Contribution of Multiple Facial Parts to the Recognition of Emotional Expressions (http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0050280)

このあたりの報告やメモを解釈し、研究を進めながら、妄想を少しずつ言語化していきたいと思います。

注①;「情報量が少ない」というのは「描き込み」などの物理的な情報量を意味しているのではなく”文脈の量”のことを意図しています。

 

 

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