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プレ子育ての科学-イベントレポート

SYNODOSさんにSYNAPSE Lab.のインタビューを掲載して頂いたことをきっかけに、不定期(概ね月1回)でSYNODOSさんに連載記事を掲載して頂くことになりました。

その記事の中で紹介させて頂いているPeek projectさんのイベント、プレ子育ての科学でSYNAPSEメンバーのおかべが講師として話題提供をさせて頂きました。

 

 

どのような仔育て研究の紹介をしたか、その内容はSYNODOSさんの記事では割愛しましたので、簡単にその内容をイベントレポートとして掲載します。

 

 

小雨がぱらつく午後、慶応義塾大学三田キャンパスにある落ち着いた雰囲気のカフェにてイベントは始まった。お茶を飲み雑談を織り交ぜながら、おかべから母子研究における科学史が概観され、その後、主に動物に関する研究を中心として、近年の母子研究が紹介された。ここでは、まず、その内容を簡単に挙げていきたい。

意外に思われるかもしれないが、子供の発達に対する親子の愛着の重要性が学術的・体系的に唱えられ始めたのは、1950年代のことである。第二次大戦後の時代には、子供の発達にとって重要な要因は主に栄養と清潔な環境だと考えられていた。しかし、それらの要因を満たしていながらも,  戦争孤児院などにおいて、孤児達の身体的・精神的発達遅延が蔓延した。これに対し、John Bowbly は「子供の発達にとって重要なのは母親(特定の保護者)との愛着関係」であること、「子供が愛情を向けるべき対象が定まらないと情緒が不安定になる傾向がある」ことを指摘し、子どもの発達における愛着の重要性を提唱した。子供が主体的に欲するものが栄養だけではないことを実験的に示したエポックメイキングな研究としては、Harry Harlowの代理母実験が有名である。アカゲザルの仔どもに対し、針金で作られ哺乳瓶が備えられた母親の人形と、哺乳瓶はないが柔らかい布でつくられた母親の人形を並べて提示すると、仔は柔らかい母親人形とともに過ごす時間が長く、お腹がすくと針金の人形に移動したのだ。布の人形にしがみついたまま針金の母親人形の方に首を伸ばし、備え付けられた哺乳瓶を口にする場面さえも観察された。この実験から、手触りや温もり等、接触によって得られる刺激も仔の発達にとって重要であることが広く認識されることとなった(しかし、母親人形だけでは仔の社会性は正常に発達せず、人形だけで仔の健康を維持する事は不可能である事も後に明らかとなった)。今となっては、「そんなの当たり前じゃないか」と思われるかもしれないが,  それを科学的に示した研究はそれまで数少なかったという。

ここまで、母子関係における子の側の研究を行った2人の研究者を紹介したが、母の側にも触れておきたい。俗に母性”本能”と言われるように、母性は言わば遺伝的にプログラムされたものであるかのように思われがちである。実際、実験動物として頻繁に用いられるラットにおいても、仔育てを良くする親とそうではない親がいることが知られていた(両者は遺伝的に異なる種類である)。ところが、Michael Meaney がこの2つの親から生まれた仔どもを入れ替え、実験的に里子に出すと、里親に育てられた仔ラット達は成長後、里親と同程度の仔育て行動を示すことが明らかとなった。つまり、よく仔育てをする親に育てられた仔ラットは成長後、自身の仔にもよく仔育てを行い、あまり仔育てをしない親に育てられた仔ラットは自身の仔にもあまり仔育てをしないという結果が得られたのだ。それまで、本能的な行動と呼ばれていた母性行動において、その特性は、特に動物では遺伝的に決められていると考えられがちであった。 しかし、Meaneyらの実験によって遺伝的な親の形質(特徴)のみならず、育ての親の行動的な形質も次世代に伝搬することが明らかにされた. 養育行動は本能的な“行動”ではなく、本能的な“欲求”であり、その欲求に基づく行動の確立には親から受ける養育行動などの環境要因が影響を及ぼすことが示されたと言える。

興味のある方は、以上の話も含む学術総説(おかべ2012)も参照頂きたい。

 

 

さて、ここまでおかべからの話題提供の内容を概説してきたが、その間にも参加されたお母さん方からの質問が多いに盛り上がった。今回は、サイエンスカフェと言う場で話したこと

であるので、多少、社会的な側面からもこのような研究について考えてみたい。

リラックスした雰囲気の中,  研究者と参加者が同じ目線で双方向に会話できることが、サイエンスカフェの大きな利点とされている。そのような和やかな雰囲気である一方、時折お母さん方から発せられる言葉の端々から、私は子育てやそれを取り巻く社会環境への不安や不満を改めて感じざるを得なかった。例えば、科学的な根拠に基づく、もしくは恣意的に科学の知見が引用されている子育てに関する言説や偏見が、お母さん達に対してプレッシャーとなることなどである。おかべが紹介したMeaneyの研究も、育て方の善し悪しが仔の成長後の行動傾向に悪影響を与えるというものであった。これは,  全てが遺伝的に決まるわけではなく、後天的な可塑性・変化の可能性があるというある種の「希望」を与える知見である一方で、「もし自分の育て方が悪かったら…」という恐怖感を与える可能性もあるわけだ。さらに、養育行動・母性行動が本能行動の一種であると捉えられがちであるため、それがきちんとなされないことは生物としての「異常」の証とさえ見なされる危険性も内包する。行動に関わる生物学分野では長らく「氏か育ちか・遺伝か環境か(“nature or nuture”)」が主要な命題とされ、ヒトも含めた多くの動物種が対象となり、行動遺伝学と呼ばれる分野として発展した。総論として「遺伝も環境も影響する」ということに現代の科学者で反論する者はいないと思われるが、どの行動や性格、能力がどれくらいの割合で遺伝と環境それぞれの影響を受けるかという各論に関してはまだまだ意見が分かれるところであり、先端のテーマであることから「古くて新しい」議論とさえ言われる。そのような議論の中、発達障害などに関しては、親の育て方が原因であるとの言説が広まったことから、発達障害の子を持つ母親達を抑圧したとされる時代もあったが、現在では遺伝子も関わる神経系の先天性障害として捉えられている。このような事例からも、先端の研究結果の公表の一つ一つが、科学にとどまらず社会的もしくは思想的な言説に都合良く引用され、社会において抑圧を受ける人々を作り出す可能性があることを、我々アカデミアの人間は意識しなければならない。今回、おかべからの話題の最後でも触れた主題であるが、いわゆる養育行動は、ほ乳類全般に観察される本能行動の一つに分類される社会行動であるがしかし、この”本能”は仔という刺激によって誘因されるものと言える。実験動物の知見で言えば、養育行動は性経験や仔が産道を通る刺激、仔の匂い(含 フェロモン)、仔との接触頻度、仔による乳首の吸引刺激など、様々な複合的刺激によって発達していく。また,  物質レベルでは、例えば、親と仔の接触によって仔の側でも親の側でもオキシトシンというホルモンの働きが上昇し、愛着が互いに形成されることが明らかにされている(オキシトシンはエスノセントリズムを促進する可能性も指摘されており,  その機能を安易にポイティブに捉えるのは早計かもしれない. まさに“グレーゾーン”、今後仮説が様々に修正され書き換えられ得る、「作動中の科学」である。

このように、言わば「仔が親を親にする」側面があり、親は仔との初めての接触により更に母性を発達させ、この循環が親子関係や養育行動を発達させると言える。この事を踏まえると、やはり、母性は母仔間で循環する関係性、言わば、「円環の理」によって確立する行動であり、本能的な欲求に基づき育まれる行動なのである。

 

参考文献

養育研究における学術和文としては、おかべの総説などをご参照ください

岡部祥太、菊水健史
「母仔間コミュニケーションによる生物学的絆形成」ベビーサイエンス 2012. Vol. 12

 

 

John Bowbly
Attachment and loss. 1958.

 

Harry Harlow
Nature of Love. 1958