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Reports -食のメタモルフォーゼ-

昨年11月に開催されたSYNAPSE Classroom #1「食のメタモルフォーゼ」
その生徒役、SYNAPSE Studentsの皆様からレポートが届きました。

(当日の講義の内容はこちらからご覧頂けます。http://www.ustream.tv/recorded/18491194)
思い思いに書かれたレポート、そこにはそれぞれの視点から広がる「ヒトと食」の関係性がありました。

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内部脳と外部脳を持つ現代人
人類知というインフラ

佐々木新 (HITSME 代表取締役社長・KOTENHITS取締役・HITSPAPER編集長 http://antenna7.com/)

 

自然淘汰の中、生物として<ヒト>から文明を創りあげる<人>に至るまで多くのパラダイム・シフトを経験し、そのパラダイム・シフトには、多くの知恵と思考と実践の生存戦略があったと教わりました。

高橋先生のお話では現代に至るまで、大枠ですが下記のようにパラグラフが付けられるそうです。

1. 移動戦略 = 4足歩行から2足歩行
2. 食物戦略 = 狩猟による肉食から農業による草食
3. 思考戦略 = 内部脳から内部脳+コンピュータ等による外部脳
4. 生殖戦略 = 試験管ベイビーによる妊娠(近未来)

現代の私達は、内部脳 + (コンピュータ等による)外部脳を持つという人類が未経験の段階にいますが、興味深いのは、この外部脳がウェブという形態のシェアを可能にするメモリであり、膨大な知識のクラウドソーシング=人類知という壮大なインフラを目の前にしています。テクノロジーとウェブの連関相互関係はマッピングや属性付けを簡易にし、今後も多くの国や地域、社会構造に浸透、浸食し、異分野を繋げ、ある時は解体する <いつでも、だれでも、どこでも>が成立するユキビタス的な有機体の根幹となっていく事が予想されます。こうした時、外部脳と内部脳の役割が明確となり、私達の内部脳が嘗ての人類とは異なる飛躍的なパラダイムシフトを起しても不思議ではないように思います。

人体とメディアのアナロジー 情報のメタボ化

高橋迪雄先生から、人類はある時点までは食料獲得の営みが生きる目的でしたが、現代は食料獲得に労働が伴わなくなり、生きる意味が変遷したとお聞きしました。確かに、私達の周辺には、コンビニエンス・ストア並びにファースト・フード、飲食店という食のインフラがあり24時間、危険を冒さず多様な “食” を簡単に仕入れる事が可能となり、食料獲得は生死と直接結び付くものではなくなってしまったと感じます。しかし、生死という人類にとって壮大なテーマを日々考慮しなくとも良い結果になった反面、現代人は過食気味となり肥満体質の人間が急激に増加し、現代病によって蝕まれるようになりました。そして、この食のパラダイム・シフトによる状況は、メディア、特にウェブの興隆によってもたらされた情報化社会に於いても同様のアナロジーを見出す事が出来ます。
現代では膨大な情報による肥満が増加し、何かしらの新陳代謝が必要になって来ていると感じます(単なる情報だけでなく twitterやFacebookでは感情伝播に因るより内的な肥満も起っているかもしれません)。この情報肥満への新陳代謝促進はいくつかの潮流を見せていますが、クリエイティブ業界で言えばクラフトマンシップへの憧憬が挙げられます。農業や伝統工業に多くのクリエーターが熱い眼差しを送るのは、クラフトマンシップがこうした肥満を解消する新陳代謝として役割を持つからだと推測されます。脳が入手する膨大な情報を咀嚼する為に、肉体、手や足を働かせるのは実は理に適った行為だという事を先生から改めて学びました。また、情報自体が過剰摂取気味なので、こちらを制限する事も忘れてはいけませんね。

メタボ化した社会へ オルタナティブな排泄行為を提案する

個人や社会の様々なレイヤーでメタボ化した現在、クリエーターはどのような役割を担っていた・いくのか少し考察をしたいと思います。
アーティストは、過去もそうであった様に、個人レヴェルや集団による運動で、メタボ化した社会へ新しい代替として排泄行為を促す存在であり、その役割の一端を担います。例えば、私が個人的に大好きな写真家ライアン・マッギンレーは、アメリカ社会が嘗て憧れたユートピアを現代版パラレルワールドとして写真という媒体を通じて現代社会に提案しています。その提案によって、多くの人間が接続し、共感する事である種、社会の鬱憤を咀嚼し、ガス抜きをしていると言えるかもしれません。また、1960年代に活動の興隆を極めた 建築家 黒川紀章氏や菊竹清訓氏らによるメタボリズムも、都市・空間に対するオルタナティブとして都市、人口の新陳代謝を促して来ました。近年で言えば、ウェブメディアによる情報社会への新陳代謝としてリアルスペースでのイベントブームも挙げられるでしょう。今後は、この潮流が一部の人間や一部の地域(東京という都心)だけでなく、小さなトリムタブと成り得る一個人、一地域が新陳代謝を促すプロジェクトを牽引する事になると思います。

異領域を横断し編集する意義

今回の SYNAPSE Classroom にはゲスト生徒役でメディアという立場から参加しましたが、他にも、栄養士やフードコーティネーター、デザイナーといった専門家が同様に招かれました。この真意には、SYNAPSEのコンセプトである知と他分野の属性を交流させ、どのようなコラボレート、応用の可能性を見出せるかというテーマが根底に流れています。例えば、今回、私が参加して持ち帰ったものは、情報による肥満化とその排泄行為、新陳代謝としてのクラフトマンシップの流れという食から得たアナロジーを学びました。ウェブにタグ付けという属性付けがありますが、個人的には、このような異分野からの学びは、それぞれの接点によって産み出される新しい属性=タグを生み出す事と、その新しい属性によって既存の硬直化した社会構造、業界構造へ大きな新陳代謝を促す機会とし、新しい情報やお金の循環を創り出す事だと考えています。

今後も多くの分野の方に、イベントやメディア、刊行物を通じて、SYNAPSE project の輪が拡大する事を願っています。
最後にこうした機会与えて下さった高橋迪雄先生、SYNAPSEメンバー、ゲスト生徒役の皆さん、お客様に心より感謝いたします。また、次回のSYNAPSE Classroomを愉しみにしてます。

 

 

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「食」から読む社会学
小倉ヒラク(デザイナーのフリをした学者/小倉工作室主催 http://hrkwords.exblog.jp/

 

人間や社会の存在を問うためにはいくつもの「読み方」があります

政治や文化、歴史から読み解く「文系」の読み方が主流だったけど、最近アツいのは「理系」もっといえば「科学系」の読み方。例えば、『銃・病 原菌・鉄』がベストセラーになったジャレッド・ダイアモンドを例にとるとわかりやすい。文系はあまり気にしないウィルスや化学物質の切り口から文明の興亡を読み解いていく。政治や文化などの切り口は得てして「〜べき論」になったり、客観性を欠くことが多いので「科学系の読み」は腑に落ち感が高いやり方だと思うんですね。

で、今回参加した『SYNAPSE classroom Vol.1 食のメタモルフォーゼ』での講義は正にそんな感じの内容。
ビタミンDにフォーカスして南北大陸間の経済格差を読み解いたり、米や大豆の栄養成分から、アジア人の勤勉さを読み解いたり。科学と歴史、感性と理性。両極端の天秤が激しく揺れるエキサイティングな講義でした。

科学って実は、「見えないものを見えるようにしてくれる」という非常にアート的な側面も持ち合わせています

例えば一粒の大豆の中では、小さくて目に見えないバクテリアが、これまた見ることのできないタンパク質を僕たちの生存に必須のアミノ酸なんかを作ってくれているわけで、ほんの数ミリのミクロコスモスのなかで驚くべきメタモルフォーゼが起こっているわけです。そして、そのミクロの世界のドラマが僕たち個人の健康やメンタルを左右し、さらに社会を動かしていく―。「科学系」の世界の読み方は、常にパーツから宇宙を発生させます。考えてみれば、アミノ酸塩基で織られた螺旋のDNAのちょっとした並びの違いが、痴情のもつれとか、セロリが好きとか嫌いとか、アイツが好きとか嫌いとかいったものを生み出し、それがやがて泥沼の離婚闘争や、スパイスをめぐっての貿易戦争や、あげくのはてにはお茶と阿片をめぐる国家間戦争を起こしちゃったりする可能性だって無くはないのかもしれないわけです。

個人の自由意志で動いて見えるようでいて、実は「自分」というものを規定している化学構造に動かされているワタクシ—そんな人間観から始まる新しい社会学。う〜ん、面白そうですねえ。

 

 

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私の考える食卓とイマの食卓のミスマッチ
「ある管理栄養士のやるせない想い」

宮澤かずみ(管理栄養士/満腹法人:芸術栄養学 http://geijtueiyo.exblog.jp/

 

管理栄養士は“御用学者”にされやすい

私が管理栄養士というと頻繁に聞かれることは「○○って身体にいいんでしょ?デトックスフードには何がいいの?」など、質問者にとって都合のいい回答が用意されていそうな質問ばかり。栄養学は身近な科学ではあるけれど、だからこそ簡略化され、都合良く利用されている側面があると感じています。私の考える食はもっと奥深く、高機能で、文化的、時に官能的でさえあるのに。随分と軽薄に考えられているなとイマの食にやるせない想いを抱きます。

またイマの食の分野では飽食や偏食、孤食、生活習慣病やメタボ、若年女性の異常なまでのダイエット思考など社会問題と絡み合った根の深い問題を抱えています。これらの問題の解決には小手先の理論ではなく、物事の根本を問うことが必要だと考えます。その点で、今回高橋先生から生物としてのヒトと文明人としての人にとっての食のミスマッチを教えて頂いたことで、現代の食の問題を新たな視点から見つめることができました。

これからの食卓の作り方擬似・採取生活」とリテラシー

「飽食の現代、私たちが食べ物を入手する為の行為は、スーパーマーケットで買い物カゴに物を入れること。これはまるで木の実の採取をしていた時のようであり、擬似・採取生活と言える。スーパーで人々は美味しいとか安いとか言った理由で、ほとんど考えもせずに食べ物を選択しているけれど、生殖寿命を超える長寿命を手に入れた私たちは生活習慣病や肥満といったリスクを抱えており、栄養素の意図的な摂取を心掛けなければならない。」という高橋先生のお話の中で印象的でした。

これを私の言葉で言い換えますと「私たちには食べ物を選択する自由がある。と同時に、自身の健康維持を心掛けた選択をする義務もある。その際には“選択する能力“が必要とされてくる。」となります。“選択する能力”とは基礎的な生物学や(アミノ酸スコアなどの)栄養学の知識だけでなく、商品のうたい文句に惑わされないリテラシーが必要であると考えます。また生徒役として参加された佐々木さんの質問からメディアリテラシーの話へと話は広がり、情報分野でも同様の問題を抱えている事の気づきや、自身の問題を見つめる多角的な視点を得ることができました。

栄養士がどんな大義名分を掲げて、食生活の改善や食育などを訴えても飛躍的な事態の改善は難しいのではないでしょうか。しかし今回の企画のような異分野との触れ合いの中に、思いがけない問題解決の糸口があるような希望を見出しました。表層ではなく、深く学び知るからこそ、セレンディピティの喜びと出会う事もあります。言葉を手にし、学びそれを伝える事は文明人としての人にこそできる事。今回のような学びの機会も大切にしたいと思いました。

最後になりましたが、今回のイベント食のメタモルフォーゼの開催にご尽力頂きました高橋先生、生徒役の皆さん、SYNAPSE projectの皆さん、本当にありがとうございます。

−今回のClassroomでは宮澤さんも参加している満腹法人 芸術栄養学のみなさまに講義の内容に沿った素敵な料理を提供していただきました。


 

 

 

 

 

 

 

シナプス学食、コンセプトは「アミノ酸スコア100フード」

私達、芸術栄養学は今回のSYNAPSE classroomの終了後に、
頭での理解を身体に定着して頂く為の“学食”という名のフードをご用意させて頂きました。

講師であります高橋先生の著書「ヒトはおかしな肉食動物」の中で度々アミノ酸のバランスについてのお言葉があり、私達は今回、その言葉をアイデアの種として“学食”の献立を作っていきました。

そもそもアミノ酸のバランスとは

達私ヒトの身体は数多くのアミノ酸から構成されていますが、もともと“肉食”であった私達には食べ物からしか補うことのできない9種類のアミノ酸があります。それを必須アミノ酸と呼び、食べ物の中にその9種類のアミノ酸がどのようなバランスで含まれているのかを示しているのがアミノ酸スコアです。ヒトの体構成に望ましいバランスで含まれている物をアミノ酸スコア100と示します。高橋先生の講義の中でも出てきましたが、人口爆発に一役買ったと言われているジャガイモはアミノ酸バランスが100の食品です。一方、私達が普段主食にしてる米や小麦のバランスアミノ酸スコアは70・40程度です。しかし、100に満たない食品でも、食事での組み合わせを心掛けることでアミノ酸スコアを100にすることができます。

また、このアミノ酸スコアを”生物としてのヒト”と”文化の中に生きる人”という観点から見た際にとても面白いある種の合理性が浮かび上がります。それは昔々の先祖達が築いてきた「米+みそ汁」や「パン+チーズ」などの食文化がアミノ酸スコア100の組み合わせであるということです。このような世界各地の食文化は、遠い昔の先祖達が工夫を凝らして作り上げた現代への贈り物と言ってもいいかもしれません。だとしたら、この食文化を未来に繋いで行くことは私達の責務といっては大げさでしょうか。

何気ない日常に先人達の知恵が集積している。
時に学術に耳を傾けたると、知らない世界を知れる。そして、同時に見えていたはずの世界がもっとクリアに見えてくるのかもしれません。

今回のイベントでは、そんな、実は理にかなっている組み合わせのお料理を用意しました。

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パン在る所にチーズ在り
◎黄金コンビのパン+チーズ

 

 

 

 

 

 

 

以下の3種をご用意致しました。
①固めのしっかりしたチェダーチーズには紫キャベツのピクルスで酸味のアクセント。目にも美味しいコントラスト。
②マスカルポーネを多めのラム酒と少しのハチミツで練り、ナッツとドライフルーツをのせた大人の組み合わせ。
③カマンベールの優しい塩味とデニッシュの甘味のコンビ、ぴりり2つを繋ぐは黒こしょう。

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日本の朝に欠かせない
◎お味噌を添えた、豆腐と米粉のさくさくボール

炊き立ての白飯の隣には湯気立つ豆腐のお味噌汁。
日本人なら誰もが頷くこの組み合わせ。
味噌も豆腐も大豆製品ですが、実は米に足りないリジンというアミノ酸を多く含んでいます。

今回は水切りをした豆腐をメインに、米粉をまぶしてさくっと揚げました。
そこにお味噌を添えて一口で食べられるアミノ酸スコア100ボールです。

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人口爆発の源
◎世界を旅したジャガイモ料理

 

 

 

 

 

 

 

 

組み合わせること無く、そのままでアミノ酸スコアが100なので味付けを変えただけで3種類を用意しました。ジャガイモそのものの味がたんぱくだったからこそ、どこの国の味付けにも馴染んだのではないでしょうか?

①スパイシー沢山:じゃがエスニック
②トマトの旨味で:じゃがイタリアーン
③とろりあんかけ:じゃがチャイナ

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それぞれの立場から、多彩な切り口、気付き、受容の仕方をお寄せ頂きました。普段わたしたちが何気なく食べている食事。背景に流れる歴史や物を食べる事の生物学的な意義について再考してみることは、現代の食事情やメディア変遷、生物としての人間を考える事にも繋がるようです。

今後のSYNAPSE Classroomでも異分野との接点により新たな発見が得られような企画をしていきたいと思います。

 

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